はじめまして。
有限会社パステック、代表取締役の武井です。
少しでも私たちのことを知っていただきたいと思い、このホームページで私のプロフィールをご紹介させていただきます。
■⽗の背中を⾒て育った学⽣時代
パステック(旧:南安鐵⼯所)は昭和37年、ここ安曇野市(当時:⻑野県南安曇郡豊科町)に私の⽗が創業いたしました。
名前の由来は当時の地名南安曇郡より南安を頂き、屋号としました。
⼩さい頃は⼯場と同じ敷地に⾃宅があったので、遊び場所は⾃然と鉄板に囲まれた⼯場内でした。
クレーンで⾃分を吊り上げてみたり、⾼く積まれた鉄板の上から⾶び降りてみたり、今では考えられない事をしていたと思います。
毎晩遅くまで働いている⽗の背中を⾒ながら、⼩さいながらも「いつか⾃分も鉄屋さんになりたい」と保育園でしゃべっていたそうです。
そのうち⼩学校より野球を始め、甲⼦園を⽬指して頑張りましたが、夢は夢のままで終わってしまいました。
■社⻑になりたいと思った⽇
⼤学卒業後、愛知県にある樹脂成型品製造メーカーに⼊社しました。営業志望で⼊社しましたが、配属されたのは⼯場の⽣産管理部⾨でした。⽣産ラインの管理から現場の実務レベルのことまでしっかりと学ばせていただきました。
その会社の社⻑は⼆代⽬社⻑でしたが、その社⻑を⾒ていて「いつか⾃分もこんな社⻑になりたい」という気持ちが芽⽣えてきました。
そんな気持ちを抱いたある年、実家に帰省した時に⽗に今の気持ちを打ち明ける機会がありました。
⽗も私の思いを受け取ってくれたようですが、数年サラリーマンをした⾃分はまだまだ未熟でしたので取引先である某商社の役員の⽅を通じて、⼤阪にあるシャーリング加⼯会社を紹介いただき、溶断の基礎から教えていただきました。
■鍛えられ、必死だった商社時代
1年弱で⼤阪を離れ、先述の某商社で今度は営業として学ばせていただきました。
社会⼈になった当時からの念願の営業職でしたが、現実は厳しく毎⽇仕事に追われる⽇々が続きました。
ただ、そんな忙しい中でも⼀緒に働いている仲間やお客様は素⼈の私にいろんな事を教えてくれました。
社会⼈になって数年経ち、少し世の中をわかったような気持ちでいましたが、⾃分の未熟さを痛感し、そして本当に⼤切なことをこの時に気づかせていただきました。
⼈と⼈との『縁』、本当の繋がりとはなんなのかを、初めて教わりました。
■『縁』を⼤事に・・・
商社での経験を積み27歳の時に、⽗の会社である南安鐵⼯所に⼊社致しました。
⽗や、古参の社員に認めてもらうために、あちこち営業で駆け回り、⼯場でも汗を流しました。
やがてリーマンショックに端を発した不況に⾒舞われ、⾚字転落の中、2009年6⽉より代表取締役に就任し、今⽇に⾄ります。 就任後数年は業績も回復せず、社員の⼊れ替わりも激しく苦しい状況が続きました。
ただ、ありがたいことに商社時代の仲間や地元のお客様の⽀えがあり、⼀番苦しい時に助けていただきました。
周りの皆様のおかげで就任後14年経ち、今では社員平均年齢が40歳の若い会社となり、半世紀の歴史を持つ当社も⽣まれ変わりつつあります。